眼形成眼窩外科とは?治療に行ったキセキを紹介します

眼窩底骨折&複視

事故に遭って8年目という事で
(中途半端だけど)、眼窩底骨折の治療に
関して起きたキセキをまとめてみます。


どんな事があったのか?

私は事故に遭い北関東のクソ病院に
運ばれました。複数した怪我の中に
眼窩底骨折もあったがクソ病院では
お手上げされ、クソ病院退院後にまず
東京のKO大学病院に行きました。


この記事の中の↓

<本当はもっといろいろあったが、
いろいろとしか書けない(笑)>

の部分を忘れないうちに書いときます。


大学病院の初診ではクソ病院からCT画像の
データが無く、再撮影する事に。


撮影するのに別日に都内の大学病院に
行くよりも、県内にある医療センターの方が
近いという事でそこを選びました。


この時に医療センターで撮影を行うので、
私の携帯番号を大学病院に登録したのが
のちに大きく役に立つ。


大学病院内で再撮影となっていたら
私の携帯番号を伝えなかったと思うので、
かなりの幸運。


運はよかったものの、撮影料が<5万>
という事にショック(´;ω;`)
クソ病院が初めからデータを
出してくれていたら、このお金は
掛からなかったはず。


まぁ結果的に運が良かったので
5万には目をつぶるしかない…。





大学病院の再診で!!

そして再び訪れた大学病院でクソ病院からの
形成外科の紹介状がない事が発覚!!
言ったはずなのに…


改めてクソ病院の情報共有の出来なさに
呆れますわ。複数の科にまたがって治療を
受けてる患者なんて私だけじゃないよね?
たくさんいるよね??






病院が縦割りで
どうすんだよ(💢゚Д゚)



私がショックで声も出ない中、クソ病院に
手術内容を聞くため目の前で電話をかける
大学病院の女医さん。


言葉使いは丁寧だが、大学病院>総合病院
という医者同士の確かな力関係を肌で感じ
ビビりまくる。


手術内容を聞き電話を切っ女医さんからは、
・難しい手術になると思う
・メスを入れてみて癒着が酷かったら
対応出来ないから、そうしたら私の恩師が
いる東海地方の病院を紹介する

と言われました。



ここで医者同士のやり取りが怖くてビビって
泣き出す私。そんな私を1人診察室に残し、
付き添いの父親と叔母が先に退出しました。

診察室


でも私もさすがにずっと泣いている
訳にもいかず、落ち着いた頃に退出しました。


帰りの車では食欲もなくズーンと
している私と、疲れてイライラしている
父親と2人っきりで気まずかったです💦
※叔母は電車で帰った。


※ここがいろいろの部分↓
そしてたしか翌日。
なんと!!大学病院の女医さんから
私の携帯に電話をもらう。


️ここで私の携帯番号を
伝えた事が役に立つ!


どうやら私が診察室でメソメソしている間に、
先に退出した父親&叔母が廊下で
看護師さんに私が事故で母親を
亡くした事を言ったようだ。


その看護師さんから母親を亡くした事を
聞いた女医さんがそのせいで泣いてると思い、
心配して電話をくれたようだ。


実際は医者同士のバチバチした空気が怖くて
泣いたんだけどね(笑)そんな事口が裂けても
言えないし、上手いこと勘違い
してくれたから良しとしよう🤣


そして女医さんは、
「メスを入れてみて癒着が酷かったら私では
対応出来ないし、何回も手術すると傷口が
瘢痕してしまうからまっすぐ恩師のいる
眼形成眼窩外科のある病院へ行った方がいい。

もちろんうちの病院でやるなら最善を
尽くすけど、もし身内が同じ怪我をしたら
他の病院は絶対勧めない。
後悔が少ない方を選んで」


大学病院の先生がわざわざ電話をかけて
来てくれて、しかもここまで言ってくれて
私の腹はすぐ決まりました。


北関東の実家から
東海地方の病院へ行く事を!!





眼形成眼窩外科とは?その科ある病院へ

その後何とかして父親を説得し東海地方の
病院へ治療に通う事になりました。


実際担当してくれたのは女医さんの
恩師ではなく、その愛弟子に当たる
お兄さん先生でしたけど。
※女医さんとお兄さん先生は同世代です。


ちなみに大学病院の女医さんが気にしてた
癒着の程度について、手術後に
お兄さん先生に聞いてみたところ、、、


「ある程度癒着してました~」との答え。


<ある程度>←これがどの程度なのか疑問。
お兄さん先生しか見てない上、
おそらくお兄さん先生の腕は当時は日本一と
言っても過言じゃないと思っている。


だって大学病院の女医さんでさえ及び越し、
恩師の先生は高齢という事で当時
お兄さん先生より出来る先生が
いたとは思えない。


様々な巡り合わせが合って、
お兄さん先生の治療が受けられたのは
とても幸せだと思っています。


そのお兄さん先生は残念ながら昨年に
↓40代という若さで亡くなっています…。






入院中マメに病室を訪れてくれた素晴らしい
先生でした。病室を訪れてくれた際、
大学病院の女医さんに会うことが合ったら
お礼を伝えて欲しいと言ったところ、


一ヶ月後に診察で再び会った時、
「女医さんも喜んでましたよ~」と
教えてくれました。


どうやら医者の学会で会った時に
私の事を伝えてくれたようだ。


事故に遭ってから正直、酷い人に会うことも
あるけれど、優しい人達も確かにいて
いろんな方に救われています(´;ω;`)
本当にありがとうございます。

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